そのの文化

Culture

CULTURE

そのの保育と文化

自然のなかであそぶ

子どものそのは新河岸川の土手のほとりにあります。
恵まれた環境を生かし、自然との交わりを大切にしています。
原っぱを散歩して花を摘み、草花遊びに興じます。トノサマガエルを捕ろうと水路に飛び込み、バッタを追って土手の斜面を走ったりして、しなやかに動く丈夫な体を育てます。
保育部の0歳児や1歳児も土手のみどりのなかで、心をひらいて楽しんでいます。
自然はかけがいのない先生です。花や虫とたわむれながら、いのちの不思議に気づき、感性や想像力、探究心、化学する心を育てます。
子どものそのはうさぎやヤギなどの飼育、畑づくりなど、自然と能動的にかかわって活動し、意欲や責任感、根気を養います。
なによりも自然とふれあうおもしろさ、感動を共有して、友だち関係を豊かに発展させます。

友だちとあそぶ

友だちと意気投合したり、ケンカをしたりして遊びながら、自己主張できる自我も、人の気持ちのわかるやさしさも獲得していきます。仲間とのあそびこそ、この時期の大切な体験です。
そして幼児期の知的発達の中心は、話し言葉の獲得です。
それは寄り添う親や先生の言葉かけとともに、友だちとしゃべりまくって遊び、活動する中で育ちます。
子どものそのは、日時をかけじっくりと活動にとりくみ、それをやり遂げた喜びを通じて、自信をつけ、人の中で生きる力を伸ばします。
集団あそび、表現活動、当番活動、話し合い活動などによって、友だち関係を深め、自分たちで楽しい生活を作っていきます。

手を使ってあそぶ

全身運動、言葉とともに、乳児期の全面発達のもうひとつの大事な課題は手指の働きです。
砂、水、泥あそびをはじめ、小麦粉ねんど、フィンガーペインティング、雑材工作、木工、自由画、課題画など、さまざまな活動を展開します。
技術的には幼くても、自分のイメージをのびやかに表現することを大切にします。
秋から冬にかけては、こま回しなどの昔遊びにとりくみ、手指のいろいろな技を獲得します。
少し難しいけれども、友だちと一緒に練習してできるようになる喜びは、大きな自身につながります。

絵本の読み聞かせ・表現活動

お母さんや先生に読んでもらう楽しさと、絵本のもつおもしろさがひとつにとけあって、本の好きな子が育ちます。近隣のどの市にも図書館のなかった時代に、子どものそのは絵本文庫をつくりました。
以来50年、文庫は自由でのびやかな保育と知的活動の"架け橋"になってきたのです。
先生が毎日読み聞かせをするだけでなく、文庫委員のお母さんたちが、子どもの選んだ絵本を家庭に貸し出して、親子読書の輪を広げています。
絵本に親しんだ子どもたちは、絵本の世界をごっこあそびの中に取り込み、劇ごっこや人形劇などの表現活動に発展させています。
1ヶ月余をかける年長組の人形劇は、子どものそのの表現活動、話し合い活動の到達点といえるでしょう。達成感に満ちた子どもたちに、観る親たちはみんな感動します。

温かくておいしい給食

子どものそのの給食は、文字どおりの手作りです。
授乳から乳児食、幼児食の全体を通して栄養の量とバランスに配慮します。
また、着色料、化学調味料などの添加物は使わず、冷凍食品もさけて、素材から調理します。
低農薬の産直野菜を仕入れ、四季の旬の食材にこだわります。小さい一切れですが、毎日つくデザートの果物も大好き。
少食の子や好き嫌いの激しい子には、負担にならないように少なめによそります。
食べられる子はおかわり自由です。

最近は食物アレルギーの子が多いので、必要に応じて除去食を用意します。おかわりやおやつの時も誤食がないように、職員間で情報を共有して安全第一に取り組んでいます。

また、食育の観点から、子どもたちと一緒にトウモロコシなどの野菜の皮むきをしたり、子どもの目の前でクッキングをしたり、合宿にはかまどを使ってご飯を炊いたりします。そういう積み重ねによって、食べることへの興味や意欲がわき、苦手なものに少しずつ挑戦して食べるようになります。

OVERVIEW

生い立ち

昭和40年(1965年)
父母が協同して「子どものその保育生協」を設立
平成15年(2003年)
社会福祉法人ふじみ野会設立後、「子どものそのBaby」ふじみ野駅前に開園
平成23年(2011年)
ふじみ野市と埼玉県の支援のもと、「子どものその保育園」を設立(定員120名)
平成27年(2015年)
「子どものその幼保連携型認定こども園 誕生」

そのの成り立ちと歴史

父母が協同して「子どものその保育生協」を設立子どものそのは昭和40年(1965年)に誕生しました。当時は上福岡町にも大井町にも公立保育園はありませんでした。
人口急増で幼稚園は超満員、"幼稚園浪人"が心配される時代、地域のお父さん・お母さんが立ち上がり、一軒いくらと資金を出し合って「子どものその」を作ったのです。

保育事業をおこなう生活協同組合として県知事の認可を受けましたが、生協立では幼稚園・保育園の認可は受けられなくて、無認可のままおよそ半世紀にわたって、親たちの共同運営で保育事業を続けてきました。
この間、あそびの中で全面発達を図ろうとする総合的な保育計画を立案するなど、保育の充実に努めてきました。

社会福祉法人を設立平成15年(2003年)、保育生協の全面的な支援で、社会福祉法人ふじみ野会が設立され、「子どものそのBaby」がふじみ野駅前に開園しました。最初は、0歳児から2歳児までの小規模保育園でしたが、平成27年増改築を終えて、定員80名の「子どものそのBaby保育園」に生まれ変わりました。
幼保一元の幼児教育をめざして保育生協は無認可だったため公的補助を受けられず、厳しい経営を余儀なくされてきました。
2004年から07年にかけて、認定こども園の許可を求めて県と折衝しましたが、無認可には認可条件が厳しく、断念しました。
そのとき県から「Babyの社会福祉法人を活用し、保育園を建設して、保育園型の認定こども園をめざしては」と助言をもらいました。
保育生協は2008年、敷地の一部を買収し、2011年ふじみ野市と埼玉県の全面的な支援を受けて、子どものその保育園(定員は120名)を建設しました。
その直後、子ども・子育て支援法が制定され、新しい幼保連携型認定こども園が国の方針として推進されました。
幼稚園は文部科学省、保育園は厚生労働省が所管していて、日本の幼児教育・保育は分断されてきましたが、新しい制度では、認定こども園は内閣府所管に変わり、行政とのルートは一本になりました。

共働きの子は保育園、中流家庭の子は幼稚園という明治時代からの差別が戦後も続く異常に、子どものそのは創立のときから批判的でした。2015年に新制度は、「幼稚園と保育園を一元化する」先進国として当然の道の第一歩です。子どものそのは、幼保連携型認定こども園の道に進みました。